自己紹介。
- 坂田 汐里
- 1995年生まれ。富山出身。
- 旅と食べることと猫が好き。
- 元パティシエで、現在はフリーランスになるべく勉強中。
夢が叶った春
小さいころからの夢は、パティシエ。
幼稚園の短冊も、小学校の文集も、中学校の作文も、「パティシエになりたい」って書いてきた。
お菓子を作るのが大好きだったし、自分が作ったお菓子をみんなが喜んでくれるのが何より嬉しかった。
病気で歩けなくなっても、周りにどれだけ反対されても、自分はパティシエになるんだって信じて疑わなかった。
2017年4月。私はパティシエになった。
第一志望の結婚式場で、真っ白なコックコートを着て、甘い香りが漂う厨房に立つ。
入社式でお母さんからの手紙を貰った。
「夢を叶えたあなたを誇りに思います。」
嬉しかった。これで安心させられる。
苦労かけてきた分、これからは恩返ししていこうと思った。
ひとつずつ零れ落ちる
パティシエの仕事は、噂通り大変だった。
早いときは朝の6時から夜24時過ぎまで帰れなくて、ヘトヘトの身体で往復8キロの距離を自転車で通勤。
シェフに怒鳴られ、先輩に気を遣い、時間に追われてご飯もゆっくり食べられない毎日に心と体は少しずつ消耗していった。
それでも自分が選んだ場所だから、と踏ん張っていたとき。
同棲して結婚の約束をしてた彼氏が、私の名義で借金を作った。
彼氏はその数か月前から無職で、何やかんや理由をつけて全く転職活動をせず、私が養っている状態だった。
大好きだったから、 ゴタゴタ言って嫌われるのも嫌だったから、 「一緒に頑張る」という彼氏の言葉を信じて、 私は借金を受け入れた。
けど、「お金がない」という状況は、二人の関係を一気に悪化させた。
彼氏は私のことをまるで家政婦か奴隷のように扱ったし、イライラして暴力を振るわれることもあった。
私は仕事の忙しさから思考力が著しく低下してて、ひたすら嫌われないように泣いて謝ってた。
大好きだった優しい彼氏が、別人に変わってしまったことにも気づかずに。
壊れたじぶん
家でボロボロに泣きはらし、眠れないまま目を冷やして会社に向かい、激務を終えて帰るとまた地獄が待ってる。
吐き気と眩暈が止まらず、大好きだったパティシエの仕事も全くやる気が起きない。
そんな生活を続けたある日、帰り道にふと 「このまま車道に転がろうかな」 と考えた。
ドロドロに疲れてて、ほかに楽になれる方法が思いつかなかった。
どれだけ考えてもまともな思考が働かなくて、とりあえず友達に「死にたい」ってラインしたらすぐに返信が来た。
「死ぬか辞めるかなら、全力で辞めろ!」
ああ、そうか。私、死にたくない。
名古屋駅の自転車置き場で、涙が止まらなくなった。
彼氏に見つからないように近所の公園に行き、ばあちゃんに電話した。
「もう、無理かもしれん。」
ばあちゃんはその日、深夜の2時まで話を聞いてくれて、その3時間後のバスで私を迎えに来てくれた。
辞めることを伝える為に会社に行った私を、外で出迎えて抱きしめてくれたばあちゃんの姿は今でも忘れない。
彼氏と別れて、二人で住むために借りた家を出て。
私は富山の実家に帰った。
夢だったパティシエを、たったの3カ月で辞めた。
新たな夢とリスタート
会社と彼氏から離れた私は、憑き物が落ちたように元気になった。
2か月が過ぎたころ、高校のときにアルバイトしていたレストランの店長から、デザート担当として働かないかとお誘いをいただいた。
もともとレストランのデザートに興味があったこともあり、パティシエに未練たらたらだった私は働くことを決意した。
けれど働き始めて間もなく、店長から冷たい態度を取られるようになる。
今までのスタッフによると、今までも正社員として入った子は吊るし上げのように怒鳴られてたらしい。
理不尽に怒鳴られたり、意味もなく無視されたり、次第にバイトの子たちからも心配されるようになった。
それでもやっぱり大事なお店だったし、バイトの子たちが好きだったから、自分さえ我慢すればうまくいくと思って頑張ってた。
そんなある日、私は高熱を出した。
朦朧としながら連絡をいれると、休むのは無責任だと店長に怒られて、フラフラしながら働いた。
仕事終わりに「フラフラするのは気合いの問題。社会人としてありえない。」とまた怒られた。
その帰り道。 目が眩み、単独事故を起こす。
すぐに気が付いたから大した被害は出なかったけど、左手の小指にひびが入った。
包帯ぐるぐる巻きにされた私の手を見て店長が言った言葉は、
「仕事中は不自然な素振りとかしないで普通に料理運んでね。 あと包帯は外して。爪楊枝と絆創膏で固定して。 飲食店勤務なのにそれは無いわ。」
異常だと思った。
私は、このお店のために生きてる訳じゃない。
自分のために生きたい。
次の日、店長に辞めることを伝えた。
なんのため??
今までずっと、誰かの顔色を伺ってきた。
嫌われないか、ダメな子って思われないか。
新卒で入った会社を辞めたことも、親に申し訳ないとか、夢を諦めたことが恥ずかしいとか、他人の目ばかり気にして。
違う、私は、そんな風に生きたくない。
ほかの誰でもない、私の人生。
他人じゃなくて、私は私の気持ちをいちばん大事にしたい。
じぶんの気持ちにとことん従いたい。
じゃなかったら、誰が私の気持ちを大事にしてあげるの??
私しかおらん。
誰が何と言おうと、今、私が一番やりたいことをやろう。
一番心惹かれることをしよう。
- 象使いになりたい
- アンコールワットの日の出を見たい
この2つをするって決めて、親にも誰にも相談せず、辞める前日の夜、タイ行きの往復チケットを買った。
出会った世界
2016年12月26日。
ばあちゃんとお母さんに見送られ、初めてのバックパックを背負って私は旅に出た。
タイから陸路国境でカンボジアに入り、念願のアンコールワット初日の出。
すごく綺麗だったけど、何よりも行きたかった場所に立ってることにとにかく感動した。
その後タイに戻って象使いになって帰国。。。の予定だったけど、 私の気持ちは、まだまだ旅がしたかった。
もっといろんな景色を見たい。
いろんな人と出会いたい。
いろんな世界に触れたい。
帰りのチケットまであと1週間、全然足りない。
後押ししてくれる心強い仲間もいる。
「じぶんの気持ちにとことん従おう」
私は旅を続けることを決めた。
それから、ラオスで象使いのライセンスを取り、ミャンマー、スペイン、モロッコ、またスペインに戻って、計3ヶ月旅をした。
ひたすら自分の気持ちに従って、行きたいところに行って食べたいものを食べて好きなことをした。
トラブルも数えきれないくらいあったけど、楽しくてしょうがなかった。
じぶんの人生を生きてる実感があったから。
旅する中でいろんな景色や人に出会ったけど、いちばんの発見は自分自身の気持ち。
他人の目を気にせず、職業や肩書を気にせず、 ほんとの私は、何が好きで、どうなりたいのか、どう生きたいのか。
初めて自分の気持ちと向き合えた。
これからの私
現在、千葉のいすみで生活しながら「田舎フリーランス講座」に参加中。
フリーランスとして収入を得るために、サイト制作やライティング等いろんなことを勉強しています。
「じぶんの気持ちにとことん従う」ための手段として、時間や場所に捉われず稼げるようになるのが今の目標。
それができるようになったら…あれもこれも、やりたいことがたくさん!!
今しんどい人へ
辛くて辛くて、消えちゃいたかった私も、今は毎日楽しくてしょうがないです。
なぜなら自分の気持ちに向き合えるようになったから。
自分で自分のこと、大切にできるようになったから。
今回この記事を書くために過去と向き合って、めちゃくちゃ辛かった。
思い出してちょっと泣いた。
でも、それと同時に、今すごい幸せだなーって改めて実感した。
今しんどい思いをしてる人へ。
人にどう思われるとか、迷惑かけちゃうとか、嫌われたくないとか、 まずは一旦、置いといて。
今のじぶんの気持ちを大切にしてみてください。
ちっちゃいことで良い。
例えばハーゲンダッツが食べたいだとか、外をのんびり歩きたいだとか、自分のちっちゃい気持ちを満たしてあげる。
じぶんのことを幸せに出来るのはじぶんだけです。
私は、じぶんの気持ちにとことん従いながらやりたいことをやり続けていきたい。
私のブログが誰かのきっかけになったら嬉しいです。